これでいいのか、マンガ業界!

僕の好きなマンガ、マンガ業界、マンガ産業について書きます。
元気が出ないときには島本漫画を読め! というわけで、僕が敬愛してやまない日本を代表する熱血漫画家であるところの島本和彦先生がラジオで熱く語っているFLASHがあったので紹介します。→「サンタになれ!」http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/6907/simamoto.html
島本先生は熱血かつギャグ、という作風であり、しかしながら「スカルマン」という原作・石ノ森章太郎のシリアス硬派漫画まで描ける情熱作家。よく言われていることだが、島本漫画はとにかく熱い。テンションが尋常じゃなく高い。ジョジョ的テンションとはちょっと違うのだけど、読者が興奮するように、楽しめるように描いているところが素晴らしく熱血。

そして「巨人の星」に見られるように、過剰な熱血というのは時としてギャグに転じる。熱血過ぎて、読者である僕らはクスリ、ニヤリと笑って、でもそれで最後にはやっぱり元気が出るのだ。「頑張れば何とかなるかもしんないな、いや、なんとかしよう! するんだっ! うおおお!!」とまで思わせてくれる熱血台詞がわんさかあるし、非常にハートが燃え上がる漫画を描く作家で僕は大好きなのだ。島本先生が物語を描くとき、彼の背中には熱血の神様が降臨しているに違いない。

さて、その島本先生は今サンデーGXという、ちょっとマニア系な青年誌で漫画を連載中であるが、僕としては、こういう夢とか情熱とか熱血性というのを思いっきり読者にぶつけられる作家は、少年誌や児童誌でやってみて欲しいんだよなあとしみじみ思う。そして、この人がテニスの王子様なり何なりよりも「部数的に売れていない」というのが気の毒で仕方が無い。やおいとか18禁同人誌も表現形式として面白いし、そういった文化がなくなったらマンガの多様性が減ることになるからなくなって欲しいとは全然思わないけど、ただ、「面白い漫画を正当に評価する」というモノサシを忘れ、良い作品に対して著しく不当な評価を市場(ニアリーイコール読者・出版社だ!)が与えつづけているようならな、いつか必ずマンガの神様から怒りの天罰が下るぞ。覚えとけ! 

すでにブックオフをはじめとする新古書店の台頭により、著作権料という漫画家に支払われるべき利益が発生せず、問題となってきている向きもある。「産業としての漫画業界」という概念を放置して、売らんかな方式で安易に安易に利益を出そうとしてきた結果が、マンガ出版の現状である。レンタルコミックには著作権料が支払われるようになるということだが、それは本質的な解決なのか?

問題は読者や出版社にとどまらない。作者が亡くなった作品についてはその遺族が作品の権利関係の管理をしているが、遺族の承諾がないとその作品を再出版することができない。遺族の権利は遺族の権利として尊重されるべきだが、遺族が承諾しないからといって、例えばオバケのQ太郎が再販されないというのは、文化的に大いなる損失ではないか? 

かつて光り輝いていた名作が、権利で揉めて日の目を見ることができなくなっている。これは、とても悲しいことだ。そしてその結果、古本屋で高値で氾濫する古典的名作マンガは、金に糸目をつけないコレクターだけが買う。海外ではまだまだ無許可で作られた海賊版が横行している。これが果たしてマンガというものが健全に消費されている姿なのだろうか。

日本をはじめとする世界各国には、やたらめったら素晴らしく面白いマンガが山ほどあって、またしょうもないマンガも山ほどあって、成り立っている。僕は面白いマンガはもちろん好きだし、しょうもないマンガも愛すべきものだ。そして僕という人間のある部分は間違いなくマンガが構成していて、できればマンガ読んで楽しむだけで一生を終えたいという願望もあるけど、そのマンガによって育てられた本能が叫ぶのだ。「マンガをただ消費するだけでなく、どんな形でもいいから、いつかマンガに恩を返していけ!」と本能が叫ぶのだ。

少年ジャンプでドラゴンボールが終わった後、1997年にワンピースが始まって7年経った。1997年に10歳だった小学生も、もう大学受験の年になる。新入社員は中堅社員に、高校生だった僕は大学を卒業しようとしている。物心ついたときからマンガを読み、特に病気で入院していた幼稚園児の頃からの人生の一部は間違いなく藤子不二雄作品と共に過ごした僕は、何らかの形でマンガに恩返しがしたい。それが今やってる資格試験関係の勉強に広く、緩やかながらも繋がっているというのは、考えてみればずいぶんと幸せなことなのかもしれない。

病室のベッドの上でマンガを描きながら死んだ、鼻が大きくメガネとベレー帽をかぶっていたあの神様は、今のマンガ界を天国からどう見ているんだろうか。人生の終盤をドラえもん1本に賭けて、息を引き取る瞬間までペンを持ちドラえもんを描き続けたあの神様は、天国でもドラえもんを描いているのだろうか。そして彼らと共に生きた編集者、出版社、読者はこれからどうなって行くのだろう。願わくば、世界のマンガ文化にこらからも栄えあらんことを。