ドラえもん TV

第3回「どくさいスイッチ」。時間的に今日は無理かなーと思っていたが、観ることができた。感想も色々と見回って楽しむ。
まず「どくさいスイッチ」という話自体のニュアンスを、「藤子不二雄atRANDOM」の管理人よねさんが水田ドラの声に対する感想と同時に述べておられた。
藤子不二雄atRANDOM
http://www17.big.or.jp/~yonenet/fujiko/index.html

どんな場面でも喋り口調が能天気すぎるのが気になります。のび太に「どくさいスイッチ」の説明を行う場面では、もっと重みが欲しい。ドラの立場が「保護者」から「友達」に立ち返ったという意味ではあの声は悪くないのですが、ドラとのび太の関係は単純に「友達」では表現できない場面が出てくるところがあるはずなのです。

誤解を恐れずに言えば、これが『ドラえもん』ではなく『オバケのQ太郎』であれば単純に「友達キャラ」を演じてくれればいい。でも、同じ藤子Fネーム作品であっても、「どくさいスイッチ」は『オバQ』には無くて、『ドラえもん』にしか有り得ない典型的な話のひとつなのです。そこで『オバQ』のノリでドラを演じられても、そこには違和感しか残らない。

この微妙なニュアンスですが、感覚的に非常にわかります。その原因というか理由としては、ドラえもんは「のび太の悲惨な未来をなんとかするためにやってきた」という役割と「のび太の悪友、バカ友達、親友としてのドラえもん」という2つの役割が重なっているものの少しズレがあるからなんだろうかなあと思いました。オバQはその点を考えると、Q太郎は「正ちゃんの友達として大原家に居候している」という環境なので、ドラえもんとはその主たる存在理由が1つ少ない、と言えそうです。だからQ太郎は別に正ちゃんに道具を出さないし、保護者的に説教したりはしないわけで(友達として説教たれたりバカやったりするし)。まあ「どくさいスイッチ」的な話は異色短編でもありそうっちゃありそうなんですけども、その道具を巡るキャラクターの関連性の微妙な距離感は確かにドラえもんでしか有り得ないエピソードだと思います。

そして、アニメ版「どくさいスイッチ」の現代性というか現代化されているポイントなどを述べておられるのがid:koikesan
藤子不二雄ファンはここにいる/koikesanの日記 - 「どくさいスイッチ
http://d.hatena.ne.jp/koikesan/20050430
確かにバスソルト、遊園地などがけっこう目新しい感じですね。特にバスソルトはしずかちゃんの入浴好きな性格と相俟って、なかなかいいセレクトのツールだと思います。あと遊園地の乗り物はやはりパオパオ!?

のび太が乗った遊園地のアトラクションに、『ジャングル黒べえ』や『のび太の宇宙開拓史』に登場する2本足のゾウ型動物〝パオパオ〟の姿をしたものがあって、藤子ファンとしてはやはりそこに熱い視線を注いでしまうのであった。

やはり細かい仕事が素晴らしい現スタッフ。ガーっとそれをホレホレ観ろ観ろというふうに、強く画面に出さなかったのもカッコイイなあ。さらっと出してるし。

あと、「どくさいスイッチ」という道具に対しては、個人的に昔からの疑問があります。たいていの道具は、使い方やその使用状況における論理性というか因果関係がわかりやすく表現されている「ドラえもん」なんですが、たまにそれがよくわからないものがあります。その一つがこの「どくさいスイッチ」で、「消えた人は結局どこにいて、どういうシステムで戻ってきたのか?」がよくわかりませんでした。まあそういう「たまに理屈をすっとばす」というところもF作品の大きな魅力なのですが……。あと「日付カレンダー」だったか、のび太が日付を都合よくいじりまくって、地球が太陽に飲み込まれそうになる話があったんですが、あれも最後に大丈夫になる理由がよくわかりませんでした。

余談
ドラえもん」には「オチのコマの後が気になる!」というのがけっこうあって、「バイバイン」なんかその典型ですよね。