逆説の日本史〈4〉中世鳴動編―ケガレ思想と差別の謎 井沢元彦

逆説の日本史4 中世鳴動編: ケガレ思想と差別の謎

逆説の日本史4 中世鳴動編: ケガレ思想と差別の謎

内容(「BOOK」データベースより)
日本人の「平和意識」には、ケガレ思想に基づく偏見があり、特に軍隊というものに対する見方が極めて厳しく、「軍隊無用論」のような世界の常識では有り得ない空理空論をもてあそぶ傾向が強い。また、なぜ世界でも稀な「部落差別」が生れたのか。差別意識を生むケガレ忌避思想を解明し、その精神性の本質に迫る。

目次
古今和歌集』と六歌仙編―"怨霊化"を危険視された政争の敗者
藤原摂関政治の興亡(良房と天皇家編―平安中期の政治をめぐる血の抗争
源氏物語』と菅原道真―ライバル一族を主人公にした謎
「反逆者」平将門―初めて武士政権の論理を示した男)
院政崇徳上皇編―法的根拠なき統治システムの功罪
武士はなぜ生まれたのか編―「差別」を生み出したケガレ忌避信仰
平清盛平氏政権編―「平家滅亡」に見る日本民族の弱点

逆説シリーズ第4巻。ケガレ思想と武士の出現について深い考察が述べられていて非常に刺激的だった。筆者のような視点を全く無視して議論されたり通説になったりしているという従来の歴史学会批判(と、旧社会党批判など)はちょっともういいかなーと思うほどくどいのだけど、これはまあ読者の誤解を避けるために書いてるのは理解できるところである。

日本特有の宗教感(言霊信仰、怨霊思想、ケガレ思想)に視点を合わせて歴史を解釈すると、こうもスリリングで理解しやすく面白いものかと感心した。なぜ日本人は自分専用の箸が家にあるのか。それを洗っても、他人が人の箸を使うのは嫌がるのか。ここに「ケガレ」思想の現れがあるのだという見方はすごい目の付け所だと思った。ただ西洋食器にはそこまでのこだわりはない、というところも面白かった。確かになあ。自分専用の箸はあっても、ナイフとフォークとスプーンなんかは普通に兼用にしてるしなあ。

ただちょっと疑問に思ったのは、西洋合理主義はどこまで通用しうるか、というところ。多分、お箸は人の専用だったものでも、西洋人なら洗えば使うのはOKだろうという予想はなんとなくわかる。で、たとえばの話、「尿を入れたコップだけど、めっちゃキレイに洗ったし科学的に何も汚れていない」という場合でも、西洋人はそれを使うのをOKとするのだろうか? 仮に尿を入れるシーンを見ていた場合ならどうか? それでもOKとするまでが、西洋合理主義的思想なのだろうか。「合理的ではないけど生理的な嫌悪感」というものを持つのは、日本人独特なのか、どこまでのライン(レベル)で独特なのかは若干疑問に思うところである。

まあそれはさておき、本書の後半、言霊信仰とケガレ(穢れ)思想というキーワードの繋がりと軍隊、武士、部落差別の関係を繋ぐ思考プロセスとその構造について述べたところは実に見事だと思う。ケガレ思想と差別については、昔読んだ本、えーと浅羽通明橋本治か、そのあたりの書籍だったかなと思うんだけど、この平安時代という歴史の流れの中でそれを論じたものは初めて読んで感心した。現状では小学校や中学校ではここまで踏み込んだ視点では教育できてないしなあ。本書の発売からかなり経つが(7,8年)、いまだに現状はあまり変わっていないのではないかと感じる。日本人なら一度は読むべき価値のある1冊。合わせて通説的見解の本や、反対説的見解の本も読むとさらに良いのかもしれない。このシリーズ、1巻と4巻は他の巻よりも頭一つ抜けて深いなと感じる。

他、六歌仙源氏物語についての言及も興味深いものだった。A