卒なくこなす「人間優等生」よりも、殻に閉じこもってる落ちこぼれの漫画を読みたい。

マンガやアニメをつくる上で、何が大切なのか? という話。

(cache) 【中二病】ヱヴァンゲリヲン新劇場版【エヴァ】

439 名前:ドラえもん作者が一番だよ 投稿日:2007/02/12(月) 16:26:01 ID:3PbNgZkP0
手塚治虫『人間関係が希薄な人は漫画は描けない。漫画とは読者との会話だからだ』

宮崎駿『ロクに人生経験も無いオタクを雇うつもりはない。火を表現するには火に触れないと駄目だ』

庵野秀明『アニメ・漫画に依存するのは止めて外に出て欲しい。あれはただの絵だ』

富野由悠季『オタクは日常会話が出来ない。アニメ作るならアニメ見るな』

藤子・F・不二雄『よく「漫画家になりたいなら漫画以外の遊びや恋愛に興じろ」だとか
「人並の人生経験に乏しい人は物書きには向いていない」だとか言われますが、
私の持っている漫画観は全く逆です。人はゼロからストーリーを作ろうとする時に「思い出の冷蔵庫」を開けてしまう。
自分が人生で経験して、「冷蔵保存」しているものを漫画として消化しようとするのです。
それを由(よし)とする人もいますが、私はそれを創造行為の終着駅だと考えています。
家の冷蔵庫を開けてご覧なさい。ロブスターがありますか?多種多様なハーブ類がありますか?
近所のスーパーで買ってきた肉、野菜、チーズ、牛乳・・・どの家の冷蔵庫も然して変わりません。
多くの『人並に人生を送った漫画家達』は「でも、折角あるんだし勿体無い・・・」とそれらの食材で賄おうします。
思い出を引っ張り出して出来上がった料理は大抵がありふれた学校生活を舞台にした料理です。
しかし、退屈で鬱積した人生を送ってきた漫画家は違う。
人生経験自体が希薄で記憶を掘り出してもネタが無い。思い出の冷蔵庫に何も入ってない。
必然的に他所から食材を仕入れてくる羽目になる。 漫画制作でいうなら「資料収集/取材」ですね。
全てはそこから始まる。その気になればロブスターどころじゃなく、世界各国を回って食材を仕入れる事も出来る。
つまり、漫画を体験ではなく緻密な取材に基づいて描こうとする。
ここから可能性は無限に広がるのです。私はそういう人が描いた漫画を支持したい。
卒なくこなす「人間優等生」よりも、殻に閉じこもってる落ちこぼれの漫画を読みたい。』

ソースの信憑性はどうなんだっていう点は当然指摘できるけども、少なくともいかにも彼らが言いそうな話ではあるなあという印象である。アニメとマンガのメディアとしての性質も全然違うけども、モノをつくるという点では共通している。宮崎駿の体験主義的な発想については岸部露伴的な価値観もあって面白いなあとは思うものの、マンガやアニメは現実社会で体験・経験できないことを「想像」して描く部分もきわめて多いので、そういう部分ってやはり緻密な取材ありき、とも思うんですよねえ。F先生が内向的な性格であった、というフィルターを通しても、いかにもF先生がおっしゃりそうな話です。

A.O.Sick.Record(with Faked Copy Life): ダメ人間たちの帝国
http://www.project-nagi.com/mt/archives/2007/03/post_432.php

ここでなぎさんが言及されていてなるほどと思ったのは、

つまり、何がいいたいかと言うと、「経験ないひとはものをつくれない」と断じるのは早計で、実は閉塞感を加速度上げてるに過ぎないってことに気づいて欲しいなあ…って。
経験がモノ作りに反映できるのなら、壮絶な人生を送ってきた人が一番面白いモノを作れると言う理屈になるわけですがそうじゃないでしょ?ま、面白い場合も多いんですが。

というところ。出版関係の人に聞いた話で、「誰でも自分の経験を生かして1冊は面白い小説が書ける。しかし問題は2冊3冊と書けるかどうか、これがプロでやっていけるかどうかの資質だ。」という話があったんだけど、それを思い出した。

また宮崎さん・富野さん・庵野さんはアニメ監督であって、規模の大きな集団作業のトップなんですよね。そういう立場からすると、使いやすい人材というのは彼らの言うような人なのかもしれない。また、手塚さんも非常に積極的にアニメを作っていた。F先生はシンエイ動画時代というのはあるものの、アニメ製作に関して、監督等積極的にリーダーとなっていた、というわけではない。そういう立場の違いもあるのかもしれません。