受け継がれるドラえもんと藤子・F・不二雄
「僕がドラえもんを読み始めたのは(遠州ネット)(http://d.hatena.ne.jp/totuka/20041105)」を読んで感銘を受けて本サイトに書いた文章。藤子不二雄関係であり、マンガ、ドラえもん関係の文章でもあるので、こちらに転載することにした。
▼ドラえもんについて想いを込めた文章を、僕は勝手にたまに「ドラえ文」とか読んでたりするわけなのですが、これはもう素晴らしく素敵なドラえ文。ドラえもんを、藤子不二雄を、再発見する。id:totukaさんと僕はほぼ同年代で、ドラえもんとの距離というのがだいたい一致しているんですよね。僕は幼い頃、長期入院をしていたことがあって、そのときに母親が買ってきてくれたマンガがFFランドのドラえもんでした。忘れもしない、27巻。のび太たちが浦島伝説を検証しに、タイムマシンで昔にいって……というのが表紙でした(FFランドはセル画つき!)。そしてその1冊のFFランドは、ボロボロになって今なお手元にあったりします。
つまりはドラえもん、いや藤子不二雄という漫画家は、成人するかそれに近いような状態で、再発見しなければならないのだ。再発見しなかった人にとって「ドラえもん」とはアニメで日々劣化していく姿であったり、思い出の中のバギーちゃんだったりする。
そしてもう一つの発見がある。他の漫画家の中に藤子の姿を発見することである。こうなるとマンガというものに魅了されている状態なので一般のマンガの読み方とは違ってしまうことになり、溝はさらに深くなることでしょう。
僕自身は明確に「再発見」をした記憶はあまりないのですが、うすうす無意識に感じていたドラえもんへの多様なツッコミポイントや面白ポイントを、高校時代の友達に一人ドラ好きのやつがいたので2人で話してゲラゲラ笑っていたのが原点かなーという気もします。そんな中、大学に入ってからネットで出会った変ドラページ「なんだこりゃ?」に爆笑と衝撃を受け、「これだ!」とある種の天啓を受けたわけです。「日本一のギャグマンガ」としてのドラえもんという観点でドラえもんを読み直すと、出てくるわ出てくるわ笑いのツボの数々。セリフ回しに爆笑。しらけた表情に爆笑。のび太の、ジャイアンの、トチ狂った性格に爆笑。やめられないとまらない。あのね、今なお、ドラえもんに、藤子不二雄に未読作品がある、という人は本当に幸せであると思います。そして、興味を持った方はSF短編集も読んでみて欲しい。藤子・F・不二雄の少し不思議な世界がそこにあります。
後半の「他の漫画家の中に藤子を発見する」というのは、これも深いですね。トキワ荘漫画家の、他の漫画家に与えた影響というのは極めて大きいわけですが、今なお新しい藤子不二雄ファンは確実に一定数出てきているわけです。暗に明にF先生リスペクト、という姿勢を持ってる人は多いと思う。いわば、藤子の魂の子供たちである。彼らは、そして僕は、ドラえもんを読んで、生きてきた。
そして、ひみつ道具や各話のタイトルからオチまでが一瞬で出てくるくらいに読んでいたりすると、「思い出すだけで笑える」というレベルにまで達するのであった。→11月9日[日記](遠州ネット)
思い出すだけでなく、こうして人が書くのを読むだけでも吹き出すというドラえもんの魅力。本当にすごい。
そしてついにドラえもんだらけ!ドラえもんについて語りつくすオフという企画も発動している様子。僕は残念ながら来月上旬は、また長文レポートを3つかそれ以上抱える事になりそうなので参加の宣言はできないのですが、いけそうな方はぜひぜひ。