蘇れ、ドラえもん

昨日からチョロチョロとネットを見ていると、大山のぶ代さん以外にドラえもんは考えられない! という人がけっこういて少し驚いた。気持ちはわからなくもない。大山のぶ代ドラえもん、というのは藤子・F・不二雄が生み出した大いなる奇跡であろう。僕とて僕が生まれたときから素手ドラえもん大山のぶ代さんの声であり、馴染み深いというレベルではなく慣れ親しんでいる。

しかし、しかしだ。最近のドラえもんと昔のドラえもん。もうだいぶ違うよね。作画が違うとか主題歌がどうとかいうレベルを通り越して変化してしまっている。躍動感、カッ飛んだセンス爆発のギャグ、ナンセンスさ、スラップスティック、かつてのドラえもんはそんな魅力があった。それを支えていたのは偉大なる原作と、声優の方々であった。

今のドラえもんは、色々な点で「老い」が来てしまっていることは認めざるを得ないところだと思う。「今」のドラえもんは、10年、15年前のドラえもんの声ではない。声の艶、ハリ、抑揚、人間くささ、全てといっていいくらい、老いてしまっている。アニメの作中においても、ドラえもんのび太とフラットな友達関係というよりは、保護者的、母親的位置付けになっているように見えるシーンも多い。大山さん自身ももう「おばあちゃん」と言ってもいいお年である。僕が見たいのは、聴きたいのは、おばあちゃんの声とドラえもんではない。ドラえもんドラえもんの声なのだ。大山さんはめちゃくちゃ頑張っておられるし、凡百の声優ではなしえなかった奇跡を起こしてきた。しかし、全盛期が続いているわけではない。

結局のところ声優とアニメキャラというのは、「慣れ」の問題も多い。違和感があるのは絶対そりゃあるだろうけど、それでも「慣れ」うるものではあるように思う。これから生まれる子供たちが新ドラえもんを楽しんで育っていき、しばらく経ってから我々の今見ているドラえもんを見せたら、必ずや子供たちは「ドラえもんの声が変」「あってない」と言うことだろう。下手すると「気持ち悪い」とさえ言われるかもしれない。世代交代とはそういうものでもある。

しかし、ここで「大山さんに似た声」で続くとすると、それはとても悲しいことだと僕は思う。なるほどモノマネで似たような声を出す人はいるだろう。ある程度の支持も得られるだろう。だけど、それだけだ。新しい魅力なんて、何一つない。亜流がオリジナルに勝つ事は極めて難しい。だったら、全く新しい血を導入してしまったほうがいい。ドラえもんに必要なのは、延命ではない。再生なのだ。