九十九十九 舞城王太郎

九十九十九 (講談社ノベルス)

九十九十九 (講談社ノベルス)

この小説は、九十九十九、という名前の人間についての壮大な物語である。
約600ページの長編作品。いやー毎度のことながら、舞城小説には物凄いパワーがあるなあ。読者に対して「オラオラ! 書いたぜ! 果たして読み進めてついてこれるかなガハハハハ!」と言ってるような気がしてならない。この本はあれだ、何というかメモとかノートを取りながら読んでもいい、というか話を理解しようとするにはその方が「望ましい」とも言える。多くの登場人物や突如のメタストーリー化。そして清涼院流水

アマゾン商品ページより

出版社/著者からの内容紹介
「苦しさを感じるなら、僕なんて愛さなくていいんだ」
超絶のメタ探偵・九十九十九の魂の旅。

聖書/『創世記(ジェネシス)』/『ヨハネの黙示録(アポカリプス)』の見立て連続殺人を主旋律に、神/「清涼院流水(せいりょういんりゅうすい)」の喇叭(ラッパ)が吹き荒れる舞台(ダンスフロア)で踊りつづける超絶のメタ探偵・九十九十九(つくもじゅうく)の魂の旅が圧倒的文圧で語られる
”世紀の傑作”はついに王太郎の手によって書かれてしまった!「ハァレルゥヤ!」

これだけ読むと、実に何のことやらわからない。「メタ探偵」ってなんじゃい、という話である。物語内物語の進行、というかうまく書けないんだけど九十九十九の「意識」のメタファーがガンガン出てくるわけで、ちゃんと分けながら読んでいかないと話自体が訳わかんなくなる。読後の僕も、この話の内容を人に正確に伝えるのは難しく感じている。かつての筒井康隆の、「メチャクチャな中での完璧な秩序」のようなそういうイメージかな。純粋娯楽では無い物語。純粋娯楽でもない物語で読者の胸に残るのは、舞城の記した「マイ文学」なのであろう。僕は現代小説はあんまり読んでいないんですけども、こういうのが文学なのかなーという気がしたわけです。舞城王太郎の「文学力」がもしスカウタ―で測ることが出来るとしたら、それはかなり高い数値なのではないだろうかと思う次第。ちゃんと文章も達者だしなあ。好きかどうか、面白かったかどうかは別として「凄い」作品。A-