笑いの段階・ブラックマヨネーズとチュートリアルの違いは?

他者いじり、自分いじり、いじり無しという区分でお笑いのネタやトークを分類すると、

1 (誰も)傷つけない笑いAタイプ(あまり面白くない)(親父ギャグ、駄洒落)
2 他虐(いじり)
3 自虐(いじり、いじられ)
4 (誰も)傷つけない笑いBタイプ(大変面白い)

というように分けられると思う。個人的には下に行くほど作り出すのが難しいような気がするが、それは人によりけりなのかもしれない・

ブラックマヨネーズはたまに2と3を入り混じりつつも、最終的に4の漫才をしている。ハゲとブツブツ、というのはものすごい武器だけど、それを元にいじられることで、そこにコンプレックスがある人にはちょっと「チクっと」する部分がある。また、最近は小杉さんがテレビで二股をしていることを公言させられ、トークなどでは二股ネタでもいじられるようになった。もっとも、これはこれで「モテハゲ」という新境地を開拓したと評価できなくもない。

2や3はやっぱり多くて、他にもデブ、チビ、ブサイク、オタク、貧乏などというパーツがよく用いられる。あと関西系テレビ番組では「大阪のおばちゃん」という独自ジャンルもある。「笑い」というものが「差異(ズレ)に対するおかしみ」から生まれるものであるとすれば、このような2も3も否定できるものではない。ただ手法としていささか安易ではないか? と思うときはたまにある。

また、自虐や他虐は突き詰めていくと(少なくともテレビでは)「いきすぎて笑えない」ものにすらなりうる。毒舌、と言っても、皇室いじりや性的マイノリティいじり、身体障害者いじりなんていうのはまだ日本では受け手、送り手双方にコンセンサスがほとんどないし、テレビでやると批判が殺到するだろう。考えてみればレーザーラモンHDは非常に稀有なキャラクターである。

構造的にも、「社会的に強い立場の者を茶化し、相対化することで笑う」ことは笑えるけれど、わざわざ社会的に弱い立場にある者をさらにいじって虐げて笑うというのは少々無理があり「笑えない」のだ。となると、だったらデブチビブサイクオタク、という「要素」は果たして笑ってもいいのか? となってしまう。それでも、あまりにこの数は多く、定型化されているということもあり、パターン的に笑えてしまうというのはある。

そのあたりのさじ加減で、このあたりがギリギリなんだろうかなと思うのは、ココリコ遠藤さんをはじめとする、何人かのビートたけしモノマネをする人だ。たけしの顔や肩に出る、チックの動きを過剰にやる。あれは対象がビートたけしという、もはや権威化しつつある強者だから許されるのであって、仮にあの症状について、「陛下や殿下」が対象であったら、おそらく難しい。ビートたけしだから、あるいは石原慎太郎だから「笑える」のだろう。小泉純一郎のモノマネはあっても、乙武さんのモノマネは滅多にない(乙武さんはもはや強者である、という立論の余地は当然あるが)。

このあたり、チュートリアルは徳井さんが極めて独自のキャラクター造詣での漫才をしているため、かなりの割合で4の笑いを生み出すことに成功している。普通、冷蔵庫を買ったことに驚愕することに傷つかないし痛みも無い。チリンチリン無くしたことで過剰に同情しても(されても)、基本的に腹は立たない。また、フリートークでは徳井さんは自ら「自分はかっこいいということを認める」という「自分褒め」という方法で受け答えしているときがある。まあブラマヨチュートリアルも、両者ハイレベルであることに変わりは無いんだけども、そういう違いはあるのかなと思った。

お笑いの大御所はどういう傾向にあるのだろうか。完全に印象の話になってしまうが、タモリも密室芸を除くと4の笑いをやってると思う。高田純次は1と4がものすごく高速に揺れてて、雰囲気と勢いで4に持っていく。さんまは本人は4をしようとしていると思うが、他の芸人や芸能人との絡みでたまに自虐笑いをやっている。島田紳介は芸能人(という強者)を相手に他虐をやっていることがけっこう多い。たけしは「酒とオネエチャン」関係ではよく自虐ネタをやっている。