明日の記憶 DVD

明日の記憶

明日の記憶

「生・老・病・死」とはブッダ四門出遊の際に見た4つの事象であり「無常」である。人は生まれてから老いて病んで死ぬ。それは宿命であり逃れることができない。じゃあそういう人間の一生に対して、自分はどう向き合うのか、ということが問われていく。

明日の記憶』は49歳で若年性アルツハイマーに冒された佐伯(渡辺謙)を描いた物語である。記憶という、自分が自分であるための大きな大きな拠り所が、日々失われていく様子は観ていて辛い。劇場で観ていたらもっと心に突き刺さるものが大きかっただろうと思う。

私は闘病系の作品を観ると、どうしても自分や自分の周囲の人間がこういうケースに陥った場合どうするか? という想像をすることになって、純粋に作品を楽しめない場合があるのだけど、それを差し引いてもこの映画は凄いと思った。

アルツハイマーの恐怖や辛さ、周囲の支える人間の苦悩、アルツハイマー症状を利用しようとする者の日常にある悪意、そしてかすかに見える希望のようなものが丹念に描かれている。自分のアイディンティティでもあった仕事がどんどん出来なくなっていく様子や、病名を言われてパニック状態になる様子、支えてくれている妻の枝実子(樋口可南子)に八つ当たりしてしまう心理描写など、観ていて「怖い」と思ってしまう。渡辺謙の好演あってのことだけど、樋口可南子も流石の演技。陶器で頭を殴られて血が頭から流れるシーンは、静かな緊張感と迫力に満ちている。

現実問題として、アルツハイマーになった場合、それなりに整備された良い施設に入れる可能性というのは、あまり高くない。準備する資金も多く必要になるし、入居待ちの数がやっぱり余裕がない状態である(思うに日本で暮らす大きな恐怖の一つは、安心して老いることが出来なくなりつつあるということだ)。『明日の記憶』では佐伯が紹介された施設に入居を決めようと思うところまでは描かれているが、その後生じるであろう家族の葛藤等まで描かれていたら、正直言って、作品を観ること自体辛いくらいのものになっていたであろう。また、その裏側には、痴呆症が進行しているが自宅で介護する「しかない」選択肢の無数の人々がいるのだ。施設に入れることは、愛情が無いということではないのだ。そういうことは頭では理解していてもなお苦悶してしまうものではある。

人生の終わりというのは、本当に難しい。寿命が分からないというところが、良くもあり辛くもある。いや、分からないとはいっても僕だって200年後には死んでいるだろう。100年後も死んでそうな気はする。じゃあ70年後は、50年後はどうか。これはわからないわけで。『天』のアカギみたいに、自分で安楽死するという考えを貫くという生き方にもある種の美しさを感じるわけですが、じゃあ自分で自分を安らかに殺すスイッチを押せるのか? と問われると本当に難しい(そういえばアカギもアルツハイマーに冒されていた)。

徳川家康は壮年以降、大変に健康・保健ということを意識して生きていて、晩年になるまで非常に元気だった(自ら出陣して大阪城を滅ぼしたくらいに元気)。そういうことを思えば、現代に生きてるからといって必ずしも昔より健康で長生きするとは限らないのだなあ。医療自体は進歩して全体の平均は伸びるけれど。

そういう理不尽な現世というものがあって、我々は生きているわけですね。どんな病気や事故にあっても、大抵は「なんで自分がこんな目に!」と思う。『明日の記憶』でも主人公がそういう思いで絶望していた。色んな人に観てほしいと思う作品でした。A

■ほぼ日刊イトイ新聞 - 『明日の記憶』とつきあう
■明日の記憶 公式サイト

4101132186恍惚の人
有吉佐和子
新潮社 1972-05

by G-Tools
痴呆症は痴呆症でも、高齢者の痴呆症をテーマとした作品に『恍惚の人』という名作がありますけども、こちらは当の痴呆症になった側の方の心理描写が無く、ブラックボックスとなっている点がちょっと気になるところですが、終盤の幻想的な描写は『明日の記憶』と少なからず共通しているところがあるのではないかと思った次第。