播磨灘物語 1,2,3,4巻(完結) 司馬遼太郎

播磨灘物語 - Wikipedia

播磨灘物語〈2〉 (講談社文庫)

播磨灘物語〈2〉 (講談社文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
黒田官兵衛。戦国時代末期の異才。牢人の子に生まれながらも、二十二歳にして播州・小寺藩の一番家老になる。だが、「この程度の小天地であくせくして自分は生涯をおわるのか」という倦怠があった。欲のうすい官兵衛だが、「広い世界へ出て、才略ひとつで天下いじりがしてみたい」という気持ちは強かった。

戦国の世に生まれ、信長、秀吉に仕えその後は家康に与しつつ九州で天下をにらみ続けていた男、黒田如水。最近ふと平田弘史の「黒田・三十六計」を読んだので黒田如水に大いに興味がわき、黒田官兵衛を描いた司馬遼太郎作品であるこの播磨灘物語も読んだ。両作品とも、黒田家の出自から物語をはじめているのが共通している。黒田家はどこから興った、何者であるか、そういう点から物語がゆるゆるとはじまる。祖父、父、そして官兵衛。彼らは流浪の果てに播磨で目薬を売り播磨に根を下ろし、一家を為してゆく。播磨灘物語は、黒田如水の人生を描くだけでなく、その名の通り播磨・灘の土地の歴史を描いてもいる。

読み進めてみるに、黒田官兵衛、非常に苦労人であった。抜群の才覚を持ち、己の力量を秀吉と同格と評価しながらも、彼はとうとう天下取りたる秀吉にはなることができなかったという現前たる結果がそこにある。黒田家がもともと仕えていた地元の主家である小寺氏に裏切られ、織田信長を裏切った荒木村重に長期間投獄され体をボロボロにされたり、信長死後、毛利軍との講和にぎりぎりまで苦慮していたりと、わりあい他人のせいで苦労するところが多かった人物である。

後年の関ヶ原の合戦の最中に九州を瞬く間に制圧する様は圧巻であったが、皮肉にも家康についた息子・長政の計略、政略のせいで関ヶ原の合戦そのものはわずか半日で勝敗が決してしまい、黒田如水は平らげた九州の勢力を持って天下に躍り出る事は出来なかった。

途中、竹中半兵衛との交わりがよく出てきて、この知にすぐれた二人の交わりは涼しげであり、かつ情に厚いものであった。この「両兵衛」、あまりにも知略にすぐれた人物であったがゆえに秀吉に重宝されながらもその嫉妬を買っていたというふしもあり、このあたりの人間の感情の微妙さ、複雑さをするすると解きほぐすように描く司馬遼太郎はさすがである。

関ヶ原後は九州の地で隠居し、軽やかに年老いて、死んだ。如水、まさに「水の如し」という名にふさわしい晩年であったように思う。彼には炎のような、ぎらぎらした、あざといとも言えるような野心が無かった。関ヶ原に乗じて九州を平らげ天下に臨もうとしたのも、ある意味人生の終盤においての自分というものを天下に試す程度のものであり、であるからこそ、息子の長政をして家康に各種政略の計を授けていたのであろうとも言える(真に野心があるならば、長政をもっと自分の利になるように用いたはずである)。官兵衛にとっての関ヶ原の混乱は、このチャンスに天下が取れるか? というゲームのような感覚であったかもしれない。長期の投獄という壮絶な経験をしながらも、知によって面白い人生を送った、よき男であった。A-

余談だが、後藤又兵衛毛利勝永との縁も描かれており、彼らが大阪城で秀頼を盛り立て、家康と戦い死ぬのを知っている自分としては妙に感慨深いものがあった。このあたりを深く描いた司馬遼太郎作「城塞」も大変面白かったのでまた紹介したい。

播磨灘物語〈3〉 (講談社文庫)

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播磨灘物語〈4〉 (講談社文庫)

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