オタキングトークライブ 岡田斗司夫のプロデュース論「好きなことを仕事にする」 「岡田斗司夫のひとり夜話」番外編?

携帯百景(ケイタイヒャッケイ)

イベント紹介
岡田斗司夫のプロデュース論「好きなことを仕事にする」

http://www.nara100.com/event/event25.html

11月上旬にあったイベントに参加してきた。

ひとり夜話シリーズは大阪難波だけども、今度は奈良だ! 鹿と大仏の国、そして県全体のイメージがなんだか茶色。なんでだろう? 大仏の色と鹿の色かな……。

電車ではうとうとしながらJRの新快速で到着。良い天気でまぶしかった。それ以前の寒さはなんだったんだというくらい暖かい。会場も駅から丸見えですぐ近かった。しかし、奈良駅より西にいったのは初めてだな。もっと西には何があるのだろう……山か……。

会場はかなり広い。これはさすがに満席にはならんだろうなと思っていたら案の定空席がわりかしあった。しかし「東京ドームへの道」を目指すなら、いつの日かこのレベルの会場も満席にならないといけないんだろうなぁ。

午後3時丁度にスタートして、岡田斗司夫登場。今日は舞台もでかい、広い。バックのスクリーンに色々資料を映すみたいだ。

ツカミは本人のこれまでのノート、特にレコダイ関係。本の構成表、売り上げ予測など。ざっとした外観図、イメージ。10数年以上の積み重ねたノート術の集大成、完成図イメージがああいう感じ、というもの。ひとり夜話第2回でも紹介されてたものだな。そして大体5年ごとに仕事を変えてきた、という岡田ワークヒストリーの話。

既存の手帳、ノート術への疑問(→どれも一長一短ではないか?)

・目標を明確にするのはいいけど、しんどすぎる、目標にがんじがらめにされかねない。

・人脈を広げるために人と会うのはロスが多い。人の面白さを理解するには自分に相応の中身がないと難しい、加えて相手が本当に面白い人なのか、単に変わった人なのかの区別も難しい。さらに、効果がいつ出るのか全くわからない。1年後、2年後? 誰にもわからない。

・ネットは情報の目次程度に考える、岡田本人が著者であるレコダイ関係でネット検索してみても、半分以上が又聞き、あるいは間違った情報だった。検索能力自体の問題もある。

確かに一長一短で、向き不向きもある。ネット検索による情報っていうのは、レコダイに関してはなるほどなーと思った。僕もレコダイの本読んでかなり痩せたんだけど、レコダイ実践ブログみたいなのを読むと、それはちょっと違うんじゃないかとか少なくとも本には全く書かれてないよなということもしばしば見受けられるものがあったりした。目標に関しては、自覚、視覚化して常に意識することで、わりと前向きに向かっていける効能はあると思うんだけども、そこでがんじがらめになるのは良くないと。そういうのは短期集中型、締め切りなどがある場合にはマッチする方法論だけれども、10年後とか20年後っていうのに明確化する、それを意識し続けるというのは確かに現実的ではない可能性はある。

そこで提案、岡田斗司夫のノート術

曰く

・僕らは日々色んな事を思ったり感じたりしながら生きている。良い天気だ、美味しい、腹が立つ、わからない、くやしいなど、色んな感情を持っている。僕らが死んでそれらのログが一切残らないのは寂しいことだ。だから自分というものを見つめるためにも、なんでも書いてみよう。
・思ったことを考えたことに。ぼんやり、漠然としたイメージから具体的な日本語へ。
・見開き1ページ使う。
・具体的な使い方はある種のネタバレになるかもしれないので、ちょっと省略。
このノート術は農業みたいなもので、成功するためというよりも、失敗する確率を減らすためのもの、レコダイは書いて認識することで、太る努力をやめる事がエッセンスだから、ノート術はダイエットと似ている。
・イマジネーション、イメージ化、図も大事。発想をプロデュースしてやる。なるべく図や絵を描く。普段書かない人も書こう、脳が刺激される。
・短期的には効果が出にくい、農業と同じだから、数年かかると思ってやろう。
・書いたら忘れても良い、むしろ忘れるために書く。肝心なのは記述すること、考える訓練なのだ。思うと考えるは違っていて、「思う」は漠然としている。「考える」は日本語化すること、他人に表現すること。

「ノート術は農業に似ている、ダイエットに似ている」という視点が電撃的だった! なんかこう、「あっ」という発見あるいは視点の切り替えによって、色んな要素が身体に入り込んで理解できた感じ。ノートの取り方自体は特許的なものでもないのだけれど、長期的に自分を「楽しい人」「人気者」に育成するための大きなツールなのであった。

そしてやはりこれは、ある程度まめに継続できるかどうかがキーになりそう。レコダイもそうだけど、メモを取るのが億劫になる状況心境なんていうのはありがちで、こうやって実際に著者の話を聞いたりあるいはレコダイなら本や本人のダイエットブログを読むことで「意識改革」がバキっと行われるんだよな。一度変革してしまえば、ボールの軌道が変わったようなもので、逆の意識改革がない限りはうまくいく流れに乗れるような気がする。あとはたまに読み返したりするのも効果がある。僕は個人的備忘録としてもこういう話を聞いたことをメモしてブログ化して残すということをしているけど、やっぱりずっと後から読み返して役に立つ事もしばしばある。

とりあえずノート買って、実践してみている。まあ、3年後5年後とかで何かが収穫できていればいいなという感覚。普通にToDoリスト、買物メモ、夢日誌的にも使ってるし。

そして質疑応答がなかなか面白かった。細かいところは忘れたので、印象に残っているところをまとめて断片的メモ↓。

▼今日の話はレベル5くらいまであるうちの1か2くらい。ネットを使う、ブログに書くというものなんかは応用編になる感じ。


ネットやパソコンとの関係でいうと、ブログに出力することはとてもよい、これはプチクリにも繋がっている部分。ただしブログが面白くなってくるには、日々のノートの充実が重要なポイント。ノート術は農業と似ているので、ブログも3年かかると思ったほうがいい。キャッシュフロー=日々のアクセスカウンター、資産=他者からの言及やGoogleの検索に出てくること。この両方を増やしていきたい。


島田紳助が娘と喋っていて、おもろい返しをするにはどうすれば良いかという話になった、島田紳助はノートに自分がしくじった返しで、もっとこうすれば良かったというような返しを10個書いているらしい。その中から最適なものを選んで出すという感じ。常に反射神経やスピードだけではなく、それらも重要だが日々の訓練で精度を上げておくことが重要。もてる人はもてるセリフを言うが、逐一センスでそれらを1つ浮かんで選んでいるのではなく、色んなセリフの中から一番効果的なセリフを言っている。これは10個のストック練習理論と同じこと。


▼表現、口数について、無口は人は思考を正確に表現しようとしすぎる。ただ1点の穴をめがけて言葉を発しようとする。でもそれは難しいし、その穴が他人にとっても同じかというとそうではない。口数の多い人は、その穴周辺にたくさん言葉を使って、相手にイメージを喚起させて話を理解させようとする。その方が結果的に、表現内容のイメージが掴みやすくなる。「正確さ」の9割は捨てなければならない。捨てた9割で残り1割を伝える事。アイドルは私生活も抑制して、普通の生活の9割を捨ててアイドルらしさを確立している。

▼総評

ノート術というのは農業に似ている、というのがほんとに面白かった。すぐには結果が出ない、失敗する可能性を排除していくというシステムが極めて農業的であると。ノートとりたくなってきました。

書くこと、書き続けることで論理力とか思考の訓練になるのは確かにそうだなと思うし、自己プロデュースというのはそうした日々のインプットとアウトプットの集積による自己イメージの集大成なんだよね。ちらっとプロジェクター?に映った「内面・外見→表現→評価(うろ覚え)」というロジックはなるほど感満載。分解、分析と集合(まとめること)だなあ。

イベント全体の濃度としては、ひとり夜話とはだいぶ違うけどかなり一般化された感じだった印象。90分をノート術一本に絞って語り尽くす(でもまだ足りない)というのは凄い。

岡田斗司夫の話術のポイントというのは、具体例をたくさん思いついて書く=反射のストック、訓練と仮説・反証・アウフヘーベンの繰り返しによる展開の妙っていうのはあるかもしれないなあと思った。