バカと暇人のものになったコミュニティはどうなるか?『ウェブはバカと暇人のもの』 中川淳一郎
ウェブはバカと暇人のもの (光文社新書) | |
中川淳一郎 光文社 2009-04-17 売り上げランキング : 7657 Amazonで詳しく見るby G-Tools |
以前読んだけど最近身につまされるように再読し、改めて読了。タイトル通りの主張が、様々な炎上経験に基づく考察として行われている。インターネットの8割9割はコレかもなと思ったり。自分の属するWEB上のコミュニティも、バカと暇人に浸食されてきたら、なるべく早く足を洗うべきだなーと。
また、バカと暇人を集めてお金を使わせるタイプのネットビジネスモデル、ソーシャルビジネスモデルも膨大に存在するのは事実で、そりゃあ状況はなかなか改善されないよなと思ったり(そもそも「それは改善されるべきか?」という命題もあります)。
「ホントかどうかという真実なんかどうでも良くて、自分が乗りたい方に乗って騒ぐ、つまんなくなったら勝手におりる、それが正しいインターネッツの使用法」なんて言葉あります。おおよそほとんどのユーザーは発言の責任主体とならないので、こういう使用法の流れになるんですよね。
面白い人が面白いことをするハズだったコミュニティが、廃れていくのは一体なぜか?
コミュニティの質的変遷についての私見ですが、こういう流れがあります。
まずはじめに、1番面白い人が面白いことをする、しはじめるわけです。なんだか凄く楽しそうです。
↓
で、そのスターターの独特の面白さに最初に強くひかれた人間(濃度・面白ハードルクリア)が集まって、面白いことを継続・発展させたりする。
↓
やがて時間がたつと、面白そうだからということで、スタート時にはひかれてこなかった人間も集まってくるわけです。直観ですが、この辺で、面白:非面白はだいたい3:7〜2:8になる気がします。
↓
さらに時間がたつとどうなるか。
↓
住み着いて割合的には多い「非面白」の人が、コミュニティそのものを守るために、面白くない主張、オピニオンを発することが増えてきます。するとどうなるか。それまで中心にいた、アーリーアダプターの面白い人たちが、段々とそのコミュニティに見切りをつけはじめるようになる。
↓
当初のコンセプトの面白さと、ずーっとあとで入ったユーザーとのトラブルや波紋といった、わりとどうでもいい煩わしさが天秤にかけられる形になる。「面白コミュニティ」が閑散としたものになってしまうかどうかの正念場がこの段階です。mixiはモノの見事にバカと暇人を集めてPV数の増加、広告収入の増加を果たしましたが、結果、初期参加したコアユーザー、アーリーアダプターを軒並み失うことになってしまいました。「バカと暇人を集めて収益に繋げる」というビジネスモデル的にはある意味正しいんですが、良質なコミュニティというものは間違いなく崩壊する。mixiは、幾度かのシステム改悪を行ってしまい、人気ソーシャルゲームアプリが次々と撤退している状況です。
↓
そうして段々段々面白い人が減ったコミュニティはどうなるか。
残された「面白くない人たち」が、面白くないことを継続する場合があります。泥沼です。この段階になると、スターターの人の「面白モチベーション」も随分下がっている。それって当然面白くないから、さらに人が離れて消えて過疎化が進むということになります。mixiは出会い系、趣味雑談の場というツールになったりしてましたが、最近リリースした「mixiページ」で何とか巻き返しを図ろうとしています。これもFacebookの後追いなので、ちょっと難しいと思うんですが。
その後、初期参加したアーリーアダプターは「次に来るもの」をびびっと感じて、また別のコミュニティに移動したり、あるいは彼ら同士で(彼らの中の誰かがスターターとなり)別の独自のコミュニティを作り上げる。スターターがアーリーアダプターと全く別のコミュニティに引っ越す可能性もあります。
思い起こせば小学校の段階から「面白い遊びをするヤツ」の考える遊びは面白かったんですが、参加者が増えるにつれてどんどん面白くなくなっていったなー、なんて記憶があります。かといって、小学校的道徳状況の中では「面白くないヤツを入れない」ってのは怒られるので難しい。大人になると、ある程度市場原理で自然淘汰されたりもするんですが……。B+