堀江貴文まとめ

以上4冊読んだわけだが、突然ここで仏教的見地から堀江貴文という人間を考えてみる。まあ僕の仏教の教義に対する理解は高校の倫理の授業レベルで止まっているので話半分で聞いてもらえればいいんだけど、えーと大乗仏教小乗仏教という観点から。僕の理解では、大乗仏教が「おっきなバスを運転して、皆を極楽につれていく」というもので、小乗仏教が「一人で車を運転して、もしくはバイクや自転車で、極楽にいく」というものだ。悟りを開く必要があるのが誰か、という点で両者は異なる。大乗なら代表1人が悟って頑張ればいいし、小乗は個々人が頑張らないといけない。どっちが人気ありそうか。そりゃ、自分で必ずしも頑張らなくても良い大乗仏教ですわな。僧侶が頑張ればいい。僧侶にお布施とかなんかいろいろあげる代わりに、自分は世俗に生活してお金を稼ぐし、僧侶に頑張ってもらう。それでまあ、死後ヨロシクと。小乗は大変だ。皆自力で頑張んなきゃいかんからね。で、堀江氏というのは、カネに関してかなり小乗的な要素が強いと感じた次第。社員に要求するレベルも高いしその代わりにできた人には高給が支払われる。けっこうこれは小乗的だね。一方株主・市場に対しては大乗的要素が強いかなと。投資してくれ、頑張るから! という。これまでの大企業は社内に対しても大乗的要素が大きかったんじゃなかろうか。社員には精神的時間的コストを支払わせて、会社は年功序列終身雇用的体系でもって極楽へ導く、と。しかし近年アメリカ化する日本資本主義社会で、どうも日本的大乗会社は社員を極楽に導けなくなったものが出てきたと。立派な僧侶だと思ってたものが、実はエセだったと。そこで新興のIT系起業なんかは結果として逆ハリになったというか、小乗でいってみようかという感覚がけっこう感じられる。堀江氏のテーゼというのは「皆起業すればいいじゃん」なのでこういうのはまさに小乗仏教のススメって感じなんだよなあ。