ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。 (100周年書き下ろし) 辻村深月 

ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。 (100周年書き下ろし)
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講談社 2009-09-15
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“30歳”という岐路の年齢に立つ、かつて幼馴染だった二人の女性。都会でフリーライターとして活躍しながら幸せな結婚生活をも手に入れたみずほと、地元企業で契約社員として勤め、両親と暮らす未婚のOLチエミ。少しずつ隔たってきた互いの人生が、重なることはもうないと思っていた。あの“殺人事件”が起こるまでは…。辻村深月が29歳の“いま”だからこそ描く、感動の長編書き下ろし作品。 (「BOOK」データベースより)


辻村深月「ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ」読み進め読了。これ、凄い。最後の30数ページ、決着は一体どうなるのか、事件の真相は何なのか、震えながら、泣きそうになりながら読んだ。タイトルに隠された意味と、藤子F先生への深い深い敬愛の情。作者と同世代の人間として、男として痺れた! ハートが痺れた! 傑作です。微妙にミスリードさせるちょっと痒みのある文体はいつものことなので慣れたし、大体私は推理小説でも自分で推理することはほとんどなく(しても滅多にわからない)、「わかんない人」として読み進めるので終盤たいてい作者の狙い通りにハマれるんだ。


読了してからしばらく経つけど、いまだに最後の行を読み終えた直後の、なんともいえない感情がある。


ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。カタカナで並んだ、4つの数字。このタイトル、本当にうまい。後から考えると、これしかない! というタイトルだ。しかもそれは、「ドラえもん」など藤子F作品を浴びるように読み込んだ私のような「フジコビト」なら、単なるタイトルとしてだけではなく、もう一つの意味がある。二重の意味を持つものなのだ。物語のキーとなる富山県という舞台も、フジコビトにはまた別の意味もある。そういったものモロモロコ込みでなんだかもう「書いてくれてありがとう!」という気分。ああ、作者にファンレター書きたくなってしまった! こんな読後感は初めてだ。まあ、ブログでこうやって思いの丈を書き連ねるというのがファンレターではあるけどね。


以前、同じ辻村作品の「スロウハイツの神様」を読んだときもものっすごく面白くて感動して泣いて震えたんだけど、ファンレターを出したくなるという心境とはちょっと違った。なんだろうなあ、この違い。この心境の違いについては今後も内面を考察しようと思うけど、本作も「スロウハイツの神様」(レビューはこちら)も、評価としては「傑作!」だ。


女同士というのは、男の俺には想像を絶する部分が多々ある人間関係であって、部分部分、戦慄を覚えるようなやりとりがある。正面切ってやりとりしない、ギリギリのところで傷付け合わない関係、その優しさと、冷酷さ、残酷さ。この作品はそういう部分のえぐさをグリグリと描いている。そういう現実的やりとりはもはやホラーであって、男性の僕はとても震えた。30年近く男性として生きてきて、また多くの知己と社会生活を営んでいるけれども、作中に出てくる女性同士、女性社会みたいな心理状況や心理的駆け引きをしたことが無い。いや、あるかもしれないけど、少なくとも、思い出せる範囲では無いくらい、皆無だ。絶えず値踏みしたり優劣を気にしたり、おっそろしく高度な心理的駆け引きを、当たり前のように行っている主人公達。それが都会であれ田舎であれ、おおよそこの国で女性として生きて行くということは、こういうことなのだなあ。


各種レビューやブログ読んでも、藤子作品との意味的繋がりが言及されてない! となれば俺が書かねば誰が書く!という勢い。あるいはそれは、作者のただのちょっとマニアックなファンサービスなのかもしれない。しかしそこには評価されるべき意味がある。いや例え他人にはなくとも、私には確かにあったのだ!

ここからネタバレ込みのレビューです。準備はOK?












OK、では藤子ネタ込みでネタバレ批評!

タイトルは、作中に出てくる逃亡中のチエミに、母親が渡したキャッシュカードの暗証番号。すなわち「0807」という4桁の数字のこと。この数字は、チエミの誕生日。母親は自分(娘であるチエミ)の事を本質的に信用せず、自分の支配下に置こうとしていた、という描写が延々とジクジクと続いた中での最後に出てきた母親の言葉。突発的事故で瀕死の重傷を負った母親は、そのとき事故の原因を作り出してしまった娘に対して、娘が殺人犯(あるいはその冤罪)になってしまわないように(!)逃げろといい、逃げるための資金を銀行から引き出すために、通帳のキャッシュカードの場所を教え、暗証番号である「ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ」を教え、息絶える。


終盤のこの展開と緊迫感溢れるやりとりがクライマックスなわけですが、もう1行1行がヒリヒリと熱い。妊娠の可能性が発覚した娘と、堕胎を迫る母親。どうしても産みたい娘は母親に「人生で初めて」くらいの出来事として、母親に反抗する。その緊張感のあるやりとりの最中、出てくるアイテムとしての包丁。そして、とてもとても不幸な事故。悲劇。愛があるのはわかる、けれどその結果がこれでは、大変やるせない。


娘は母親に依存し、母親もまた親離れがうまくできていない、そういう母娘関係ではあったのだけど、親子の間には愛情が確実にあって、それは娘の誕生日をキャッシュカードの暗証番号に設定し、いざというときに使える状態にしてあったということが分かるシーン。もうなんか「うわああああぁあ」と思いながら読んでいた。どうか、どうか不幸な展開にはならないでほしい、そう願って読み進めた。彼女たちには明確な「悪意」はないのに、起こってしまう不幸。娘の友人であっても、悪い事をしたときにはキチンと叱る母親と、そんな母親を見て育った娘。都会で生活しているわけではなく、やや田舎といえる土地で、契約社員として送る生活、そして望む、いつか結婚という目標。


チエミを誘惑する男性キャラが、またいい感じに女性からも男性からもムカつかれそうなキャラクターで、かなりいい味出している。そういうムカツキ要素が多分にあるんだけども、チエミのような女性から見るとこれがなかなか確かに魅力的に見えるようにも描写されており、このあたりの生々しさ、リアリティがハンパない。チエミの周囲の女友達は、その男性のことをほとんど評価していないが、チエミが幸せなら、と誰もその男の本質をチエミに言わない。このあたりが、あまりにも生々しくて神経的にゾクっとする。


さて0807という数字、これはチエミの誕生日であると同時に、野比のび太の誕生日でもある。言わずと知れた国民的男の子。ドラえもんの主人公的存在だね。そして、ドラえもんにも同じように、のび太の誕生日をキャッシュカードの暗証番号として使った作品があります。カードを持って相手に向けて、暗証番号を唱えるとお金が取れる、というキャッシュカード。


そういうひみつ道具とエピソードがあるんですが、この2010年になって、よもやアレを最大のヤマ場に持ってきた文芸作品が出てこようとは!! という驚き。最初にこのタイトル見たときには、すっかり忘れてたよっていうくらい、記憶に埋もれていたエピソード。辻村深月さんは「凍りのくじら」「スロウハイツの神様」など過去作品でもドラえもんをはじめとする、藤子Fネタがわんさか出てくるけど、今回ほど、読んでて驚いてひっくり返りそうになった使い方はなかった。正直言って仰天した。件のエピソードでも、スネオがカードを悪用し、のび太に向かって「どうせのび太のことだから、誕生日を暗証番号にしてるんだろ、ゼロハチゼロナナ」といって迫るシーンがあって、本作をここまで読んで頭にブワーっとそれが再生された。あれをネタの下敷き(の一つ)にしてこれを書くか! スゴイ! の一言。


そして本作のもう一つの重要な舞台となる赤ちゃんポストがある病院が建てられている富山県。富山といえばフジコビトの聖地。そう、藤子F先生の出身地。このあたりは出てきたときに「おお、いつもの辻村サービスだな〜」くらいにすぐ認識してわかってたんだけど……いやはや。胸打たれるというか、「ズガーーーン!」という迫力にやられた作品で、うーん、お母さんは死んでしまったし、結局チエミの妊娠は実際には起こっていなかったし、タイトルになってる数字の描写以外、最終的に救われるところがなかったのが本当に残念。スロウハイツの神様みたいな、圧倒的救済による感動の結末がある作品を、また書いて欲しいなあ。


辻村深月「ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ」アラサー世代男女とその母親世代、でもってフジコビト(特にドラえもんフリーク)、ミステリー小説読みには絶対にオススメです。A

関連
スロウハイツの神様レビュー(下巻後半はもう完全に反則だろぉ〜というくらい泣かせの連続クライマックス!!)
http://d.hatena.ne.jp/Fujiko/20080125/p3
★凍りのくじらレビュー(溢れんばかりの藤子愛!)
http://d.hatena.ne.jp/Fujiko/20071113/p2